「手 折 菊」に つ い て

  「手折菊」

    菊舎六十歳の文化九年の刊。

    安永十年から文化九年四月までの生涯を記した六十賀の記念集。

    菊舎編、自序、花・鳥・風・月の四巻より構成されている。

 

    巻一(花)は、主として天明五年(三十三歳)までの行脚記録。

    巻二(鳥)は、寛政五年(四十一歳)から寛政六年の帰郷するまでの

    東海道五十三次の句画賛。

    巻三(風)、巻四(月)の二巻は、天明六年(三十四歳)から

    文化九年(六十歳)までの文・俳諧・和歌・漢詩より成る。

    体裁は、半紙本(縦二十二.五糎、横十六糎)、袋綴。  

        菊舎顕彰会発行の「手折菊」復刻版です。

           菊  舎  稿  本 1~10

    刊行本としては「手折菊」がありますが、菊舎は多くの草稿本を残しています。

    菊舎の残した多くの稿本を見ることで、彼女の俳諧人生をより深く知ることが

    できると思います。以下に彼女の稿本を順を追って紹介しております。

    菊舎の句は、それぞれの稿本に出てくる彼女の最初の句を書き留めています。

   (説明文は、上野さち子「田上菊舎全集上・下巻」に依っています。)

        図録「雲遊の尼 田上菊舎」(菊舎顕彰会発行)より

 1.「改稱賀章集」

    安永七年、田上道女(菊車二十六歳)に関わる最初の句文集。

 

    長府の五精庵只山の序文あり。

    只山が道女に請われて「菊車」の号を与えたことや

    周辺の俳人たちが賀章五十七句を作って祝ったもの。

    菊車の句は一句のみ。

    最初の雅号「菊車」の由来を知る上で貴重。

 

    本稿の体裁は、縦二十二・五糎、横十七・二糎、袋綴。

    表紙、裏表紙ともにえび茶色、牡丹模様。


                     「荻萩の雫を菊の車かな」

 2.「春の恵」

    天明二年、菊車三十歳の三月六日から五月にかけての俳諧記録。

 

    署名のすべては「菊車」となっている。

    前半は、美濃不破郡岩手の師・傘狂のもとを出立し、

    美濃の各地の雅友に迎えられての俳諧記録。

 

    後半は、加賀の国松任の千代尼の跡を尋ねて写したらしい

    千代尼・白鳥・見風・乙由などの句文を載せている。

    ここに記載されているのは、菊舎の句を発句とする連句のみで、

    滞杖・宿泊などの具体的な記述はない。

 

    本稿の体裁は、縦二十二.二糎、横十三.三糎、袋綴。

    表紙、裏表紙ともに本紙と共紙。

    大部分は菊車自筆と考えられるが、所々に別筆が混入する。


             「けふに似よ霞に笠の行先も」

 3.「笈の塵」

    菊車三十歳の天明二年と推定される五月末から六月にかけての

    越後・信濃における俳諧紀行。

 

    本稿は「春の恵」に続き、越後直江津・高田を経て信濃善光寺参詣、

    さらに更級姨捨山へ登り、高田へ戻るまでの記録。

    本稿は、旅日記的色彩が強く、当時の俳諧行脚の実態、地方俳壇の事情、

    農民生活の点描など「手折菊」に漏れている幾多の逸話を載せている点で

    貴重なものである。

 

    本稿の体裁は、縦十一.八糎、横十.二糎、袋綴。

    表紙は本紙共紙。裏表紙は別にない。

    全文菊車自筆とみられる。


           「浜寝して見るめ涼しきいさり哉」

 4.「夜長時」

    菊車三十歳の天明二年と推定される九月中旬の俳諧記録。


    菊車が北陸・奥羽旅行の途次に経過した出羽国での雅会を記したもの。

    題名の文字が薄れてよくわからないので、冒頭の菊車発句「問ふ事の

    ありてかり寝も夜長時」の座五をもって題とする。


    本稿の内容は、小出の閑涼亭荷笠のもとでの九月三十日の後の月の会を

    中心に、十五日には成田の宇考、次いで荒砥の斗哉のもとでの雅会を記す。

    本稿は、当時の羽州俳壇の実態を把握するうえでも貴重な一冊である。


    本稿の体裁は、縦十五.三糎、横十四.五糎、袋綴。

    表紙、裏表紙共に白。   

 5.「初日の出」

    菊車三十一歳の天明三年正月一日から三月末までの俳諧記録。

 

    天明二年初夏に美濃を立った菊車は、北陸・出羽を巡歴して

    同年冬に江戸に到着。白寿坊道元のもとに宿泊する。

    江戸での菊車の俳諧修行ぶり、交友関係などがよくわかり、

    当時の美濃派江戸俳壇の実態を知ることができる。

    以後気菊車が長く寄寓することとなる麻布の木工屋・作左衛門や

    菊車を美濃の傘狂に紹介した萩の竹奥舎其音の姿も登場する。

 

    本稿の体裁は、縦十五.八糎、横十一.三糎、袋綴。

    表紙、裏表紙ともに白。

    題は書かれていないので、冒頭の菊車発句「おもしろや7ことにあづまの

    初日の出」の座五をもって題とする。

    本稿最後の一句「船は着ど尽ぬ名残やすみだ川」より菊舎と署名。

    これにより菊車から菊舎への改号は天明三年三月末と思われる。


          「おもしろやことにあづまの初日の出」   

 6.「師の前に」

    菊舎三十一歳の天明三年五月初めより八月末までの俳諧記録。

 

    「初日の出」に引き続き、江戸における菊舎の俳諧活動を記載。

    師の朝暮園傘狂の関わった巻ばかりを収録している。

    師の添状を頭陀袋に入れ、北陸・奥羽の俳諧行脚をし、その成果を

    師の前に披露しようとする菊舎の気持ちが伝わる一巻である。

    また本稿には、傘狂の添削・評言の箇所が散見され、美濃派における

    指導の実際を知る上で貴重なものである。

 

    本稿の体裁は、縦十六糎、横十二糎、袋綴。

    表紙、裏表紙ともに紺色譜太縞模様の楮紙。

    題は無く、題名は冒頭の菊舎発句によって付けたもの。


            「頭陀の限り見せん涼しい師の前に」

 7.「初手水」

    菊舎三十二歳の天明四年正月から六月にいたる俳諧記録。

 

    前半の三月までは、傘狂を中心とした江戸での記録である。

    四か月間に五十回を超える俳席に参加している。

    後半は、傘狂の帰郷と前後して四月のはじめに江戸を立ち、

    五月に美濃に到着してから六月までの記録。

 

    本稿の体裁は、縦十九.五糎、横十三.五糎、袋綴。

    表紙、裏表紙ともに茶色楮紙。

    題は剥落して不明なので、冒頭の菊舎の句「何をけさ先へ

    拝まん初手水」による。


             「何をけさ先へ拝まん初手水」  

 8.「初手水 続編」

    菊舎三十二歳天明四年六月から八月にいたる約二か月間の俳諧記録。

 

    三年にわたる江戸滞在を終え、五月に美濃に帰省してから

    秋に帰郷するまでの美濃やその周辺での雅会・雅交が記されている。

    朝暮園傘狂を中心とした一門の賑やかな俳諧活動が読み取れる。

 

    本稿の体裁は、縦二十四糎、横十六糎、袋綴。

    表紙、裏表紙ともに虫害が甚だしい。


           「蚊屋つらで添え乳する間の蚊遣哉」

 9.「俳諧 旅情集」

    菊舎三十二歳の天明四年仲秋から晩秋にいたる旅の俳諧記録。

 

    師の傘狂のもとに暫く留まっていた菊舎は、秋に至り帰郷することになる。

    本稿はその餞別吟から始まる。

    数多くの餞別吟は、美濃におけ菊舎の俳諧修行の広がりを示す。

    近江・京・浪花で知友の送別を受け、浪花より海路をとる。

    晩秋、無事帰庵するまでを記す。

 

    本稿の体裁は、縦二十二.五糎、横十六糎、袋綴。

    表紙は、裏表紙とともに薄茶色、わら半紙に和紙を貼ったもの。

    題は、縦十四.八糎、横三.六糎の青色和紙に「俳諧 旅情集」として

    表紙左方に貼付。


            「帰る晴も月に教への菰一枚」

 10.「つくしの旅 二」

    菊舎三十四歳の天明六年七月から九月にいたる俳諧記録。

 

    この年の三月半ば、九州に再遊の途次立ち寄った同門の先輩

    高木百茶坊に誘われて、菊舎は九州に赴く。これはその同行記録。

    天明六年四月から六月までの内容を含む「つくしの旅 一」は

    すでに書かれていると思われるが、未だ発見されていない。

    美濃派勢力が九州に扶植されていく実態がわかり興味深い。

 

    本稿の体裁は、縦二十三糎、横十六糎、袋綴。

    表紙、裏表紙ともに紺色紙。

    題は表紙中央にあり、縦十五.四糎、横二.八糎の墨流しの地模様紙に

    「つくしの旅 二」と記される。

 

            「かりそめに見る空でなし星の今宵」

 

稿本11~19へ続く

        説明文は上野さち子の「田上菊舎全集」に依っています。

Translation

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