一字庵十一世立机式における執事のあいさつ

                                内山貞子

 

 中野町長さん・上野先生・冨田宗匠さんをはじめ町内外のたくさんの来賓や俳人を

お迎えして、此の儀が行われますこと誠に有難うございます。思いおこせば、文政七

年の田耕神社の秋祭りに招待された菊舎は、今生の暇乞いにと七十二の高齢をも顧み

ず、お弟子と共に長府から歩いて田耕に帰って来られました。

 

 中河内の庄屋村田儀兵衛(秦々園桃葉)一家は、新しい炉をしつらえて大喜びで迎

えました。このとき菊舎尼は文台を桃葉に譲り、二代目一字庵を立机させたのであり

ます。興行は桃葉宅をはじめ八幡宮・四恩寺・妙久寺・専修寺など諸所で催され、延

べ三百人余がこの里に来られたと「山めぐり」その他の文書に書き残されています。

 

 以来一字庵は七世まで継承され、八世福澄十郎(風浪子)は郷土の誇りである菊舎

尼をもっと世に広く顕彰したいと考えられて、有志の方と話し合いを持たれました。

山本栄助さん・小林誠さん・田上文さん・古川清さん達の中に私も加わりました。そ

して、多くの方の賛同を得て、昭和三十二年五月、田耕小学校の校庭に

 

  故郷や名も思い出す草の花

 

の句が建てられました。

 

 その除幕式には、山口の東桃園・下関の西尾桃支・黒井の来見田鬼豊ほか多くの俳人

来賓が来られ、そのときの句会に東桃園から「山口県知事杯」を、誕生間もない豊北町

の松田町長から「町長杯」を戴きました。これらが「一字庵杯」と共に今に伝わってい

るものであります。菊舎顕彰会もこのとき誕生しました。それから俳句会がたびたび行

われるようになった事はご存知の通りです。その後、風浪子は二十年近く老人クラブの

活動や、菊舎顕彰会の事業に力を尽くされました。

 

 風浪子は

 

  啓蟄や我は寝たきり三歳越し

 

の辞世を遺し、生前に古川虹雨に九世を譲りました。虹雨のとき、定例の俳句教室を開

き、新会員もふえ田耕の俳句も活気にみちてまいりました。然し病を得て惜しくも

 

  暴れ梅雨音たて堕ちし生涯

 

の辞世を遺して、昭和六十一年七月四日忽然と逝去されました。その後、福田帆江さん

に十世が継承され、文台に附属している品々へ細かい心遣いもなされました。そして、

このたび菊舎尼と最もゆかりの深い妙久寺坊守 岡 昌子さんに十一世を継承していただ

くことになり、誠にめでたいことであります。

 

 一昨年、長府博物館で「菊舎尼特別展」が開かれました。菊舎尼の遺墨や遺品百六十

六点が全館所せましと展示されましたが、その中に菊舎直系の東京の本庄家と福岡の本

庄家からの出品物はひときわ目を引きました。今まで見たこともない菊舎自筆の稿本・

句集などと共に、正面に置かれた菊舎尼愛用の「双鶴梅樹文の十徳」は衆目を引き、屏

風前に並べられた自作の茶碗・茶杓などの茶道具と愛用の頭陀袋など実に六十三点もあ

り瞼の裏に強く残っています。その時この田耕にある一字庵文台は、付属品と共に奥ま

った別室に展示されて、参観者の注目を浴びたことは、嬉しくも誇らしい事でありまし

た。近時、上野さち子先生御夫妻や心ある方々のご尽力で新聞や雑誌にも菊舎尼のこと

掲載され、全国的にも見直されて「長門の菊舎」の名は高く評価されつつあり嬉しい

であります。

 

 私達郷土の誇り一字庵菊舎尼の流れが、その誕生地を中心として広く顕彰され、地域

文化向上の一翼に貢献できるように祈念して私の挨拶と致します。

                               (平成九年)

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