菊 舎 稿 本 11~19

 11.「九州行」

     菊舎三十四歳の天明六年九月末から十月半ばにいたる俳諧記録。

 

     表紙を欠くため原題が不明。

     「九州行」という題名は本荘家でつけられた仮題である。

     内容は、「つくしの旅 二」に続き九州再遊の高木百茶坊の随行記。

     博多・大宰府・木山口を経て佐賀へ向かう道中記。

     百茶坊に随伴する菊舎の俳諧修行の過程が窺われて興味深い。

     本稿の体裁は、縦二十三糎、横十六糎、袋綴。

     表紙、裏表紙ともになく、題もない。


           「ばせを葉や広ひ遊びはこちらにも」  

 12.「一声行脚 二」

     菊舎三十五歳の天明七年四月一日から六月三日にいたる俳諧記録。

 

     内容は「九州行」に続く。ただし「九州行」は天明六年十月半ば

     までであり、本稿のはじまる四月までの約半年間の記録がない。

     おそらく「一声行脚 一」と名付けられるべき一冊が存在したので

     あろうが、未だ発見されていない。

 

     佐賀で百茶坊と別れた菊舎は、ひとり長崎に赴きそのまま年を越す。

     一月末熊本に百茶坊を迎え、四月七日に熊本を立ち、雲仙を経て

     四月九日に長崎に帰着する。

     五月十七日に百茶坊とともに長崎を出立し、同二十四日に佐賀に着く。

     六月三日に佐賀を発って帰路につくところで本稿は終わる。

 

     本稿の体裁は、縦二十糎、横十三.三糎、袋綴じ。

     表紙、裏表紙ともに水色楮紙。

     題は表紙中央に、縦十三糎、横三糎の水色地墨流しの紙に、

     「一声行脚 夜長の談笑 二」と記されている。


             「花の汚れは干竿にころも替」 

 13.「美濃経廻 ふたゝび杖」

     菊舎三十五歳の天明七年から天明八年にかけての俳諧記録。

 

     天明七年の秋、菊舎は故郷長府に帰着したが、百茶坊を送って再び

     美濃に旅立った。本稿は、師傘狂邸に逗留中の菊舎の活動を伝える。

     師や近隣同門の人々との俳席、雅会、師のもとを訪れる人々との贈答が

     その内容である。

 

     本稿は一から七まで計七冊存在する。

     体裁は各冊共通で、縦十九糎、横十四糎、袋綴。

     表紙、裏表紙はともに本紙共紙。

     表紙中央に題名が直接書かれ、筆跡は皆同じであるが、菊舎の筆ではない。

     本文は大半が菊舎の自筆だが、部分的に別筆がはいる。

     料紙は無罫の楮紙。


            「吹かばふけよ朝暮の庵に冬籠」

 14.「首 途」

     菊舎三十八歳の寛政二年三月十日に、京都東山双林寺で行われた美濃派

     六世宗匠朝暮園傘狂主催の芭蕉百年忌の取越法会に参列するため、故郷

     長府を発って京に赴く道中、および法会当日とその後の俳諧記録。

 

     本稿の体裁は、縦二十二.七糎、横十四.五糎。袋綴。

     表紙、裏表紙ともに無地の楮紙。

     題はなく、「女流著者解題」による。 


            「たをれふすとも恩の影花のかげ」 

 15.「吉野餞吟」

     菊舎三十八歳の寛政二年三月から五月にいたる、吉野山探勝を中心とした

     宇治および奈良紀行に関わる俳諧記録。「首途」に続くもの。

     菊舎はこの旅の途中、黄檗山万福寺で「山門を出れば日本茶摘うた」を

     残している。

 

     本稿の特徴は、旅の各所での逸話が生き生きと記され、それらを通して

     菊舎の人間的な一面が強く窺われることである。

     また黄檗山への感嘆を契機に、新しい中国文化への目覚めがあり、

     宇治の源氏物語ゆかりの地巡見や西行庵での一夜以来、菊舎の文芸に

     和歌が加わっていく。俳人菊舎の世界が、和歌・漢詩・弾琴・茶・画へと

     広がっていく萌芽を見ることができる。

 

     本稿の体裁は、縦二十二.七糎、横十四.五糎、袋綴。

     表紙、裏表紙ともに無地の楮紙。

     題はなく、「女流著作解題」による。 


            「花の世やと華も染しか墨染に」   

 16.「美濃・信濃行」

     菊舎四十一歳の寛政五年、夏から秋にかけての俳諧記録。

     

     この年故郷を出た菊舎は、春から夏まで難波・京洛に遊ぶが、その後

     美濃に入り、師の傘狂を尋ねる。師に同行して近郊の弟子の許を訪れ

     俳諧興行に専念するが、師には疲れが見え、これが師との最後の行と

     なる。

     

     長良川の鵜飼い見物を最後に美濃を離れ、八月一日江戸へ出発する。

     中山道を通り各務原から木曽路へ向かう。八月十四日馬籠泊。

     二十六日は善光寺へ。その後追分から上州を経て、九月六日に武蔵野

     へ入るところでこの記は終わる。

 

     これは自筆稿本ではなく写本である。 


            「こゝろ堅ふ祝ふて立ぬ氷餅」

 17.「九州再遊 墨摺山 二」

     菊舎四十四歳の寛政八年七月二十三日から、寛政九年八月十七にいたる

     九州再遊の俳諧記録。この稿本の「一」は現存しない。

 

     寛政八年初夏に長府を出発し、福岡・佐賀を経て七月末に長崎に入り越年、

     寛政九年晩秋、佐賀に赴き翌年帰郷するまでの三年に亙る九州行脚の一部。

 

     今回の九州再遊の主な目的は、長崎で漢詩を学ぶことにあった。

     長崎という海外に開かれた都市を舞台に、菊舎四十代半ばの活力に満ちた

     心身が新しい文化に触れ、生き生きと働いているさまを本稿から読み取る

     ことが出来る。

 

     本稿の体裁は、縦二十糎、横十四糎、袋綴。

     表紙、裏表紙とも淡い樺色。


             「こゝろ染て行文月や硯川」 

 18.「聞集草」

     菊舎四十五歳の寛政九年九月十八日、佐賀に到着してから翌年春に至る

     までの、俳諧を中心とした雅会記録。

     「九州再遊 墨摺山 二」に続くもの。

 

     菊舎は折から健康に優れず、医者の助けを受けたり、知友から羊毛の下着

     を贈られたりして寒さを凌ぐ。しかし俳諧連句への執心は強く、茶会や

     弾琴などをする。佐賀藩士たちの温情に支えられながら、正月も雅会に終始

     してこの一巻は終わる。

 

     本稿の体裁は、縦十三糎、横十八.五糎。

     表紙、裏表紙ともに藍色楮紙。

     題は縦七.七糎、横二.四糎。表紙左脇に貼付。


            「交りの香は爰にこそ道の秋」

 19.「文化五年 漢詩・発句集」

     菊舎五十六歳の文化五年夏から秋にかけて萩・下関・長府の雅友たちとの

     贈答を主とする漢詩・発句集。

 

     虫害や水害によると思われる損傷がひどく、損傷の少ない時代に書写された

     と思われる長府図書館蔵写本によって補ったもの。

 

     本稿の体裁は、縦二十四.五糎、横十七.五糎、袋綴。

     表紙、裏表紙共になく、題名も記されていない。


            「夏となつてなほも訪よし松の蔭」 

 説明文は上野さち子の「田上菊舎全集」に依っています。

Translation

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